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東京地方裁判所 昭和38年(ワ)5131号 判決 1966年8月25日

原告 長沢芳夫

被告 東洋化研株式会社

主文

1  被告は原告に対し金九〇七、八五〇円及びこれに対する昭和三八年六月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  この判決は、仮に執行することができる。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

一、原告―主文同旨の判決及び仮執行宣言

二、被告―「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二、請求原因

一  (一) 被告は、アメリカ合衆国の化粧品会社マツクス・フアクター・アンド・カンパニー(以下「米本社」という。)の事実上の日本支店たるT・M・ウエスト社の後身として、昭和二八年六月一八日設立された各種化粧品の製造、輸出入、販売等を目的とする株式会社である。

(二) 原告は、昭和二七年四月一日T・M・ウエスト社に雇傭され、次いで被告会社が設立されるとともに被告との間に期間を定めず雇傭契約を結び、以来従業員として勤務し、後記退職当時は、製造部生産計画管理課長の職にあり、月額八一、三〇〇円の俸給を受けていた。

二  (一) 原告は、昭和三八年五月八日被告に対し自己の都合により同月末日限り退職する旨の意思表示をした。

(二) よつて、原被告間の雇傭関係は、同月末日限り退職により終了した。

三  (一) 被告の定めた「退職手当金規程(案)」(以下「規程」という。)によれば、原告は自己都合による退職者であつて(規程第四条)、その勤務年数はT・M・ウエスト社入社時から起算され(同第八条(五))、右勤務年数一一年二ケ月、前記俸給月額を基準に規程別表「自己都合退職金定率表」等から演算すると、原告の退職手当金の額は、九〇七、八五〇円となる。

(二) 規程は、昭和三七年九月被告会社代表者土列査・アルバート(以下「支社長」という。)から全従業員に対し「本年三月一日以降当分の間退職社員に対し規程に基く金額を支給する」旨通知するとともにその全文を配布したものであつて、原告退職当時における被告会社の退職手当金に関する定めとしての効力をもつ。

四、よつて、原告は、被告に対し右退職金及びその弁済期である退職の日の翌日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、被告の答弁及び主張

一、請求原因事実は、雇傭関係終了の原因及び時期を争うほか、すべて認める。

二、(一) 被告は、昭和三八年五月一六日原告に対し懲戒解雇の意思表示をした。

(二) その理由及び経緯は、次のとおりである。

1  原告は、被告会社の従業員たる地位を利用して、会社の取引先である東洋工業株式会社こと久米良二から合計約五〇万円を収受した。

すなわち、原告は、被告会社では前記担当課のみならず事実上他の部課の業務にも影響を及ぼし得る有力者であつたところ、前記久米に対し被告会社から多量の注文をとつてやると申し向け、同人が東洋工業株式会社名下にガラス瓶(化粧品容器)納入業をはじめるに当り、同人を被告会社の資材購入担当課長に紹介して受注をあつせんし、その謝礼として同人から約一年の間に数回にわけて合計約五〇万円を受領した。右金員は久米において被告会社からの注文量に応じて一定歩合の金員を積立て、これを原告に贈与したものである。

2  かように、会社の従業員がその地位を利用して、関係業者から金品を受領することは、会社の名誉、信用を著しく害し、従業員としてあるまじき行為であり、原告の右行為は被告会社の就業規則第四八条(七)の懲戒事由「会社の名を汚し、又は会社の信用を傷つけた者」に該当する。

3  それで、被告は、米本社とも協議したうえ、昭和三八年五月一日運営委員会に諮り、「本人の将来、才能を考慮し、もし改悛して以後誠意をもつて勤務を続ける意思があれば、降任、減俸に止めるが、本人に改悛の意がなければ懲戒解雇するほかない」との方針を決め、翌二日支社長及び製造部長藤井秀一からその旨を伝えて原告の意を徴したところ、原告はなんら反省を示さないまま同月八日退職の届出に及んだので、被告は同日運営委員会で原告の懲戒解雇を議決し、前記のとおり解雇したものである。

三、規程第七条によれば、懲戒解雇された者には退職手当金を支給しないこととなつているので、原告は、退職手当金を求める権利がない。

第四、被告の主張に対する原告の答弁及び反論

一、被告の主張事実のうち、その主張の日に懲戒解雇の意思表示があつたこと、久米が被告主張の商号でガラス化粧瓶を扱い、これを被告会社に納入していたことは認めるが、その余は争う。

二、被告の原告に対する懲戒解雇は無効である。

(一)  原告は、昭和三四年頃久米から一〇万円程度の金員を受取つた事実はあるが、それは単なる私的な謝礼にすぎない。すなわち、同人はかつて被告会社取引先の社員として、被告会社にしばしば出入りするうち原告の部下池田千恵子と知り合つて昭和三三年頃結婚し、その後間もなく独立して前記営業を開始し、被告会社と取引を生ずるに至つたものであるが、原告は当時個人的に同人の結婚や営業開始について相談にのり、被告会社に紹介してやる等の世話をやいたところ、右営業も成算がついたので、久米は、原告の右個人的行為に対する謝礼として前記金員を贈つたにとどまる。当時、原告は、生産計画管理課長であつたが、その業務はガラス瓶等の資材購入に関係がなく、原告は職務上久米のために便宜を図り得る地位にはなかつた。

(二)  原告は、入社以来勤務成績優秀で将来の被告会社幹部として嘱望され、昭和三七年には業務上の知識習得のため命を受けて渡米した程である。

(三)  我国では会社幹部が取引先より供応や金員の贈与を受けるのは広く行われている慣行である。被告会社でも、従来原告の上役にあたる二、三の幹部社員が取引先より供応を受けているが、それを理由に懲戒処分のあつたことはなく、このようなことは、被告会社内においてなかば公然と行われていたものである。

(四)  しかるに、被告は、原告が久米より五〇万円にのぼる贈与を受けたとの理由によつて、昭和三八年五月一日就業規則第四九条(四)を適用して原告を課長の地位から降任(一月五、〇〇〇円の減給となる。)する旨の懲戒処分にしたので、原告は熟慮の上、前記退職届に及んだのである。

以上の各事情をあわせ考えれば、本件懲戒解雇は、事実及び情状の判定を誤り、不当に苛酷なものであつて、違法無効なことは明かである。

第五、証拠<省略>

理由

一、被告が昭和三八年五月一六日、当時被告の従業員であつた原告に対し懲戒解雇の意思表示をしたこと及び原告が被告会社の生産計画管理課長の地位にあつた間、被告会社と取引関係のある久米良二から一〇万円程度までの金員を受取つたことは、当事者間に争がない。

二、被告会社の就業規則(成立に争いのない甲第二号証)には懲戒事由として「会社の名を汚し又は会社の信用を傷つけた者」(第四八条(七))を掲げているところ、会社の従業員が関係業者から金品を受取ることは、それが儀礼の範囲に属しあるいは個人的関係に基くもので会社の従業員たる地位となんらの関係がないこと等取引信用上疑惑を招くことのない特段の事情が明白な場合でない限りそれ自体右懲戒事由に該当する所為というを妨げない。久米良二の証言、原告本人の供述によれば、原告の受領した金員は、昭和三四、五年頃約一年の間に数回にわたり受取つたものであつて、久米の妻がかつて被告会社に勤め原告の部下であつたこと、久米の依頼により原告が同人を被告会社の後記担当課長高橋に紹介したことがあつたことは認められるけれども、右事情に被告会社における原告の地位、収入(退職時のそれについては争がない。)を考慮しても、原告が受領した金員の額は通常の儀礼の範囲を超えるものと認められ、他に前記特段の事情を窺わせる資料もない。

したがつて、原告が久米からの金員の受領につき就業規則第四八条(七)により懲戒処分を受けるのは、やむを得ないところである。

三、就業規則は、第四八条において懲戒事由を列挙し、第四九条において懲戒処分の方法として「懲戒解雇」のほか「地位の格下げ」「休職」「減俸」等五種の方法を列挙しているだけで、いかなる場合に懲戒解雇に処するかにつき規定を欠くが、被告会社はまつたく自由に懲戒の方法を定めることができるわけでなく、その選択した方法が規律違反の種類、程度その他諸般の事情を考慮して著しく妥当性を欠く場合には、懲戒権の濫用的行使にわたるものとして、その懲戒処分は無効とされる。ことに、懲戒解雇の場合には、単に賃金収入の途が奪われるだけでなく、規程所定の退職手当金を受けるべき権利を失うことが就業規則第八条第一項(四)及び規程(成立に争いのない甲第三号証)第七条に規定されているので、懲戒に該当する非行をした従業員がすでに退職の意思表示をしているにもかかわらず、あえてこれを懲戒解雇するについては、その非行が当該従業員の多年の勤続の功を抹殺してしまう程度に重大なものであつて、そうすることが被告会社の規律維持上やむを得ない場合であることを要するものというべきである。

四、(一)1 原告が久米から受領した金額が一〇万円を超えることについては、これを認めるに足りる的確な証拠がない(証人小林荘之助の証言、成立に争いのない乙第四号証も、久米証言、原告本人の供述と対比して、右認定の資料とするに足りない。)。

2 右金員の授受が原告の明示あるいは黙示の要求によるものであつたことを窺わせる証拠はない。

3 藤井秀一、新美芳朗の証言によれば、久米はガラス瓶の取引業者であるが、被告会社においてガラス瓶購入の際の発注先の選択、買入価格の決定等は、製造部資材第二課(課長高橋善治)の所管であつて、原告は右決定に関与せず、取引業者との交渉もないことが認められ、原告が上記金員の受領につき高橋その他担当従業員と意を通じたようなふしも窺われない。

4 久米と被告会社との取引につき原告が特別の便宜を与え、又は被告が右取引によつて損害を受けもしくはその危険を生じたと認められる証拠はない。

5 原告が前記金員を受領する以前に、被告会社において原告その他従業員一般に対し、関係業者から金品の収受をしないようとくに注意を与えていたと認められる証拠はない。

6 被告会社の製造部長であつて、原告の直接の上司にあたる藤井秀一は、その証言において、昭和三七年の渡米に際し会社の取引先から数万円を下らない金員を受領したことを自供しており、新美芳朗の証言、原告本人の供述によれば、他にも支社長や幹部社員が取引先から金品を収受しその他財産上の利益の供与を受けていることが窺われるけれども、そのためにこれら役員、幹部社員らが処分を受けたことはないことが認められる。

7 その他原告の行為がとくに悪質であると認めさせるに足る証拠はない。

(二) 右にみたところによれば、原告の前記金員受領行為は、その情状において極めて重大なものということはできず、これに対し懲戒解雇の処分をもつてのぞむことは、酷に失するきらいがある。

なお、米本社が、原告の右所為につき懲戒解雇相当の見解を固持していたことが藤井秀一、小林荘之助の証言から認められ、米本社においてはかような非行が重大な懲戒に値するものとして取扱われていることを窺わせるけれども、独立の法人である被告会社の企業規律の実態が前認定のようなものである以上、米本社における取扱いをもつて本件の場合における懲戒処分の基準となし得ないことは、いうまでもない。

(三) 原告が被告会社の前身T・Mウエスト社に入社以来その勤務成績が極めて優秀であつたことは、藤井秀一、小林荘之助の証言によつて明らかであり、本件懲戒解雇の約一週間前から原告がその非を認めないまでも自ら退職を申し出ていたことは当事者間に争がないところ、かような原告に対し数年も過去の上記程度の非行をとりあげ、敢えて懲戒解雇の挙に出ることは、被告会社における従前の規律状態に照らし均衡を欠くばかりでなく、将来の規律の維持、確立のため必要やむを得ない措置とも考えられない。

五、以上により本件懲戒解雇は無効と解すべきところ、原告が昭和三八年五月八日被告に対し同月末日限り退職する旨の意思表示をしたことは当事者間に争がないので、原被告間の雇傭関係は、民法第六二七条第二項により同月末日限り終了したことに帰する。

したがつて、原告は、被告から、規程(その効力、内容、退職当時の俸給月額、勤務年数については、当事者間に争いがない。)により、自己都合による退職者として請求原因三(一)に記するとおり退職手当金の支給を受ける権利があり、その弁済期が退職の日であることは被告の争わないところである。

六、よつて、原告の請求は理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、仮執行宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 橘喬 吉田良正 高山晨)

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